SIGHTSEEING 渚庵周辺観光マップ 渚庵周辺は大変風光明媚なエリア 琵琶湖の水平線、芭蕉ゆかりの地。 平家物語、源氏物語に関連した史跡も数多くあります。 お食事の後、ぜひ、お立ち寄りください。 松尾芭蕉も愛した渚庵周辺、琵琶湖南部地方 江戸時代の俳人松尾芭蕉はこの湖南地方を愛し、幾度となく訪れています。渚庵周辺には松尾芭蕉が奥の細道執筆後に、その身を休めた幻住庵や亡骸眠る義忠寺があります。 実は河川、「母なる湖」琵琶湖 琵琶湖は日本最大の「淡海=淡水湖」ですが、40万年前に現在の地に定着した「古代湖」でもあります。古代湖とは10万年以上前にできた湖のことを言い、世界でも数少なく、日本では唯一、琵琶湖のみ。また琵琶湖には約1000種もの生物が生息しており、琵琶湖にしか生息しない固有種も約60種存在。「マザーレイク」、「母なる湖」と称される琵琶湖ですが、実は、法律上は湖ではなく「一級河川 琵琶湖」。川として眺めてみるとまたまったく違ったものに見えてきます。。 渚庵周辺の観光マップ 皿そば渚庵 びわ湖大津プリンスホテル 幻住庵 逢阪の関と蝉丸神社 大津湖岸なぎさ公園 近江神宮 三井寺 建部大社 ミシガンクルーズ 義仲寺 大津絵の店 瀬田の唐橋 瀬田の洗い堰 石山寺 近江神宮 三井寺 大津湖岸なぎさ公園 ミシガンクルーズ 大津絵の店 義仲寺 びわ湖大津プリンスホテル 逢阪の関と蝉丸神社 幻住庵 瀬田の唐橋 石山寺 瀬田の洗い堰 建部大社 びわ湖大津プリンスホテル 渚庵から徒歩1分 渚庵を出て右手、真隣のホテル。大津のランドマークホテル。全室絶景レイクビュー。渚庵ご来店の際のご宿泊はこちらへ。 大津湖岸なぎさ公園 渚庵から徒歩4分 「渚庵」屋号由来の公園。御殿浜~におの浜~打出浜の琵琶湖岸全長約5キロにわたる湖岸公園。散歩やサイクリング、バス釣りに最適、景色も素晴らしく、陽の光りにきらめく水面を眺めるだけでも気分爽快に。 ミシガンクルーズ 渚庵から徒歩5分 渚庵から歩いて湖岸に出ると琵琶湖クルーズ船「ミシガン」の発着所「におの浜観光港」があります。びわ湖大津プリンスホテル前の桟橋から乗船可能。琵琶湖クルーズの前後に渚庵でお食事される方も数多くいらっしゃいます。 義仲寺 渚庵から車で5分 木曽義仲、松尾芭蕉眠る寺。頼朝の命をうけ、渚庵近くの粟津で、義経の軍勢に討たれた木曽義仲(源義仲)。死後、愛妾であった巴御前が義仲の墓所近くに草庵(義仲寺)を結び、「われは名も無き女性」と称し、日々供養したことにはじまると伝えられています。「無名庵」とも呼ばれ、俳人松尾芭蕉はこの寺と湖南の人びとを愛し、たびたびこの地を訪れ、句会を開催するなどしました。また、芭蕉は大坂で亡くなりますが、「骸(から)は木曽塚に送るべし」との遺志を残したことから、元禄七年(1694年)10月、義仲寺の義仲の墓の横に葬られました。弟子の又玄(ゆうげん)の句「木曽殿と背中合わせの寒さかな」は有名。寺の中には芭蕉の花がたくさん咲いています。 幻住庵 渚庵から車で15分 石山の山中に芭蕉門下の俳人菅沼曲水の伯父幻住老人が建てた草庵。芭蕉は「奥の細道」の旅の後、元禄3年(1690)4月から7月までこの「幻住庵」で心と身体を休めます。「幻住庵記」は幻住庵に滞在したときの生活や感想を記したもの。椎の木に囲まれた草庵に立ち寄ると、山肌に広がる別世界のような静けさに心癒されることまちがいありません。芭蕉がこの地を幾度となく訪れたのがうなずけます。 瀬田の唐橋 渚庵から車で10分 幻住庵から山を降り、瀬田川沿いに少し車を走らせると「日本三名橋」の一つ瀬田の唐橋が。「唐橋を制するものは天下を制す」とまで言われ、京に通じる軍事・交通の要衝であったため、幾度となく戦乱の舞台になりました。「いそがばまわれ」の語源となったエピソードでも有名。現在の大橋・小橋は、織田信長により整備されました。 建部大社 渚庵から車で10分 瀬田の唐橋の東約550メートル。近江一の宮と言われ、長い歴史と由緒を持つ全国屈指の古社。祭神は、日本武尊。平安時代末、源頼朝は平家に捕らえられ、伊豆に流されます。その途中、建部大社に立ち寄った際に、源氏再興を祈願。その後、見事にその願いが叶い、以降、武運来運の神として信仰を集めました。平安時代の作で日本武尊の妃といわれる木造女神像があります。境内の石灯籠とともに重要文化財に指定。 石山寺 渚庵から車で15分 建部大社から再び瀬田の唐橋を渡り、瀬田川沿いを車で10分。天平一九年(七四七年)、琵琶湖から流れ出る唯一の河川「瀬田川」の右岸に建立され、その川の流れとともに1300年もの歴史を刻んできました。日本遺産登録。平安時代、寛弘元年(1004年)、紫式部は時の中宮の新しい物語を読みたいというリクエストを受け、物語作成ため石山寺に7日間の参籠をします。そのとき、琵琶湖の湖面に映える十五夜の名月を眺め、都から須磨の地に流された貴公子が月を見て都を恋しく思う場面を構想。「今宵は十五夜なりけり」と書き出したのが『源氏物語』の始まりと言われています。他にも石山寺は『枕草子』『蜻蛉日記』『更科日記』などの文学作品に登場するなど、平安王朝文学の開花の舞台となりました。境内の本堂相の間には「源氏の間」があり、『源氏物語』を執筆した紫式部の姿が人形によって再現されています。〈百人一首・第57番〉めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな 紫式部 瀬田の洗い堰 渚庵から車で20分 石山寺から瀬田川沿いに車で5分。瀬田川に、湖の水位調節と下流の宇治・淀川流域の治水対策のため、明治29年に起こった大洪水がきっかけで、明治38年に建設。現在の洗堰は二代目で、昭和36年に完成。水門は10基の電動式、全長173m。初代の旧洗堰は、少し上流の両岸に、レンガの堰柱が記念として残されています。 逢阪の関と蝉丸神社 渚庵から車で10分 「これやこの行くも帰るも分かれては、知るも知らぬも逢坂の関」の百人一首で有名な蝉丸。蝉丸は平安時代の琵琶の名手。目が不自由であったにもかかわらず、音曲の神として崇められました。この蝉丸を祭った蝉丸神社は、渚庵から京都へ向かう県境の逢坂山「逢坂の関」にあります。「逢坂の関」は歌枕として、百人一首でも三つの歌で詠まれています。〈百人一首・第10番〉これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関蝉丸〈百人一首・第25番〉名にし負はば 逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな三条右大臣〈百人一首・第62番〉夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ清少納言 大津絵の店 渚庵から車で10分 今も第五代大津絵師高橋松山先生の「大津絵の店」にて大津絵を鑑賞、購入することができます。大津絵は大津の代表的な郷土土産で、江戸時代初めから逢坂山(おうさかやま)を越えた大谷・追分あたりで道中の人々に売られていました。自由大胆で力強い線と朱色・黄土色・黒色などの鮮やかな色使いで独特の味わいがある大津絵。民衆の中で育った芸術(民画、大衆画)で、「大津絵の筆のはじめは何仏」と芭蕉の句にあるように、最初は阿弥陀仏や十三仏などの仏画が多くありました。明治時代、東海道本線が開通すると、往来の少なくなった街道筋の大津絵は一時衰退しますが、初代高橋松山(たかはししょうざん)氏によって見事に復興を遂げ、以降、現在では第五代高橋松山氏により伝承されています。「大津絵の店」は長等神社の門前にあります。 三井寺 渚庵から車で15分 大津絵の店から車で五分。天台寺門宗の総本山。境内に天智・天武・持統の三天皇の御産湯に用いられたとされる霊泉(井戸)があることから、「御井(みい)の寺」と称され、後に「三井寺」となりました。春は桜、秋は紅葉の名所です 近江神宮 渚庵から車で20分 三井寺から車で五分。大津京を建都した天智天皇 を祀る「近江神宮」は「かるたの殿堂」と称され、競技かるたの日本一を競う大会が開催されています。映画「ちはやふる」の撮影場所にもなりました。この地に都を遷都した天智天皇は、日本で初めて漏刻(ろうこく:水時計)をつくったことから「時計の始祖」としても知られ、境内には時計館宝物館があり、漏刻や日時計なども設けられています。 〈百人一首・第1番〉秋の田の かりほのいほの とまをあらみ わが衣手は 露にぬれつ